第1回 新・河口慧海研究プロジェクト at Dolpo.BC
- Inaba Kaori
- 2021年10月29日
- 読了時間: 3分
2021/10/17 千早赤阪村の私の山小屋Dolpo.BCで行いました。
「新」ということは、2004年に立ち上がり活動されていたバラサーブ達の熱い思いを受け継ぎたいという思いで立ち上げました。(座長:故 川喜田二郎氏)

きっかけは、私がDolpo越冬から帰国後、2020年の夏に和田豊司氏(日本山岳会 東海支部 元支部長)がDolpo.BCにお越し頂いた時です。
チベット側の地図を片手に名古屋からお越し頂きました。
実は、私もDolpo越冬中に帰国後にお会いしたい思っていたのです。
思いは届いたようですよ、両思い〜〜〜笑!!
でも、これは偶然が偶然を重ねて今に繋がってる。
どこから書くか、詳しく書いたら長くなるから、簡潔にいうと・・・
2016年 金剛山山頂にある転法輪寺の前で川田哲二氏と出会った。
川田氏は、1970年10月20日 ダウラギリ主峰(8167m)をラクパ・テンジンと登頂!
日本人初登頂者です^^(同志社大学山岳会)
この出会いが偶然すぎて驚き、でもこの時は挨拶だけで終わった。
その後、何度も偶然に金剛山でお会いするタイミングがあり、
それでようやく連絡先を交換したんだけど、これ数年かかってる^^
そこから川田氏のおかげで、和田氏に繋がった。
もちろん、存在は存じ上げてました!
でも、いきなり連絡なんてなかなか出来ないよね・・・。
和田氏に質問したいことがあって、確認したいことがあった。
それが、想像を超えてチベット側の地図を私にと、わざわざ届けてくれたんだよ。
えーーーーーーーーー!_!
びっくりしすぎて泣けるほど嬉ししーーーー、同時にヤバさに気づく!
今は亡き師匠達の思いが私におおい被さるようにやってきた、笑。
もちろん自分もやりたい、行きたい気持ちは100%以上!
でも、もう私だけの頭じゃ追いつかん、笑。。。
個人レベルでは出来へんぞ・・・
ネパール側ならなんとかなる、でもチベット側は難しい・・・。
何をやりたいか?というと、
チベット側、国境超えてからカイラスに行くまでのルートを明確にすることだ。
何をそんなに拘っているの?と、一般的には思うかもしれない。
でも、先人のバラサーブ達はそこにロマンを抱いていて、
私はそれを見てきた一人だった。
いろんな意見が飛び交う中、みんな歳を重ねて他界されていく。
この世からいなくなる・・・。
だから、残された時間はそう長くないと私は思う。
死んだら語り継がれるけど、もう喋れない、夢には出てきてくれるけど、笑。
リアルにはもう話せない。
だから今、生きてるうちに先人の皆さんの声を私は聞きたいと思っている。
今回の第一回目の和田氏の発表から、「さまざまな意見を尊重する」ことを
私は感じ学ばせて頂いた。
和田氏の寛大な心に本当に心から感動した。
それをここに書き留めておきたい。

今後、目的はいくつかある。
先日、奥山先生に私がやりたいことリストを書いたプリントをお渡しした。
それを見て頂けて^^、そこから簡潔にまとめて下さった。
1、慧海越境ルートの解明
2、大西保氏関係資料の整理と公表
3、「河口慧海日記〜ヒマラヤ・チベットの旅〜」新版の作成
4、その他
勉強会は、シーズンに1回 or 年に2~3回の予定で、
一般公開も出来たらと考えてます。
故 川喜田二郎さんは学生時代にいくつかの本を読みました。
チベット人 鳥葬の民、パーティー学、発想法、続 発想法 KJ法
KJ法は有名ですね。
河口慧海のチベット遠征は以前から知っていましたが、稲葉香さんと同じリウマチを患っていてしかも入国が許されていない時代にチベットへ旅しているとは稲葉香さんの記事で知りました。河口慧海像は定年退職者のグループで堺市を何回か巡ったときに南海本線七道駅にあって、えっここの出身?!!!と思いを新たにしました。5-6年前になります。
河口慧海の業績は稲葉香さんの記事で知りましたが、稲葉香さんが"先人のバラサーブ達はロマンを抱いていて、私はそれを見てきた一人だった"研究の執念に追いつけません。しかし強く見守りしたいと思います。愛知県知多半島在住77歳