「西ネパール ヒマラヤ最奥の地を歩く」. 〜ムスタン ドルポ フムラへの旅〜 彩流社
- Inaba Kaori
- 2021年12月14日
- 読了時間: 5分
更新日:2021年12月18日
念願の著書の発売日が決定しました。
2022年1月21日!
ようやく完成しました。

私のweb shopにて、先行予約開始します。
先行予約の方は、ポストカード3枚付き^^
期間 : 2021/12/20 ~2022/1/10
↓
ふりかえること2019年の春、ドルポ越冬出発前!
彩流社さんとのご縁を繋いで頂いたのは、ヘナの第一人者である森田要先生です。
私のドルポ越冬出発前に参加したヘナのワークショップだった。
出発前、遠征期間は4ヶ月になるし、その間の空家賃も厳しいし、帰国後普通に美容師するかな?出来るかな?と思っていて、Dolpo-hairをやめることも考えた。
Dolpo-hairとして独立しちょうど10年目になるのだが、出発すること以外の事を考える余裕がなくなり、出発することだけに全集中した。
今まで何度もヒマラヤ遠征に行ってきたが、越冬へ出発するのは今まで以上のエネルギーが必要だったわけだ。
これまでも全力で遠征にかけてきたわけだが、私にとってそれ以上のパワーが必要だったドルポ越冬計画。
そんな中で、個人経営してるくせに、店のこと考えれない状況で出発していたのだが、
唯一、美容師を続けるのなら、「ヘナ」をやろうと思っていた。
それでワークショップに行ってみようと思っていた時に、ちょうど私の住む千早赤阪村に、東京の青山の美容師の先生が来られるということで、
なんでわざわざ村に来るんだろう?と思った。
私の大好きな場所である薬草茶庵・アムリタのヒロリンさんが企画されていたので、
とりあえず行こうと思った。
すると、ヘナの話よりも、私の活動の話になり、山の話、そして私の世界観を聞いて頂き、自費出版の本をすぐ見て頂いた。
見た瞬間、「出版社紹介するよ」と、言って頂き名刺を頂いた。
そして、次の日、ほんまかいな〜と思いながら、私は連絡をしてなかったところ、
要先生は、電話をくれた。
「あなた次第だよ、いつ、東京来る?」と言われた。
正直、越冬出発前だからお金が厳しかった。
1円たりとも使いたくなかったけど、「これは行かなあかんわ」と思い、
次の週、弾丸夜行バスで東京に行き、その日に出版社さんに繋いで頂いた。
そして、ほぼ出版は確定となり、このはやさに驚いた。
とんとん拍子で決まったわけだ。
決まった後、ここから本が完成するまでは長い道のりとなるのだが、
彩流社さんとのご縁は、森田要先生のおかげなのです。
これまでのヒマラヤ遠征の活動が、まさか美容師であるヘナの先生に
ご紹介して頂けるとは思ってもなかった。
さらに、このご縁が2021年12月現在もずっと続いてる。
次から次へと繋がっていってます。
不思議なぐらい面白いことになってます^^・
本当に心から感謝いたします。

(写真は、カバーを外した時の本の表紙で、かなりのお気に入り写真です。ドルポ越冬へ拠点地に向かうトレキング中に出会ったキャラバン隊です)
そして肝心な本の内容は、私がこれまで西ネパールに通ってきた中から、厳選した写真とコラム達です。
ネパールには、1999年に初めてバックパッカーでインドから入りましたが、
その頃は、リウマチの足では登れるなんて思ってなかったです。
その後、2002年からヒマラヤトレッキング、登山をはじめて、
西ネパールに入れたのは、2007年第一人者である大西保氏と出会ってからです。
今までにない大きな扉を開けた瞬間でもありました。
自分で行ってきた世界と全くの別世界でした。
天国で私の師匠達は、驚いていることでしょう、笑。
(故)大西保氏 (故)吉永定雄氏 (故)水谷弘治氏 (故)高山龍三氏
「おい!!お前が書けるのか!!」って、思ってるはずですわ。。。
かなり重要なことをさせて頂きました。
先人の師匠達がいなければ、私は行くことは絶対絶対出来なかったからです。
ギリギリの時代でした、出会えてよかった、本当に。
現場に一緒に入れて、同じ瞬間を味わって、生で声を聞いて、怒って笑って泣いて。
あのリアル感が切ないほど愛おしい、久々にこれ書いてたら泣けてきた、笑。
今は、GPSで簡単にどこでも行けるような時代になってしまった。
装備も軽くて、何でも便利になってしまった、道路もどんどん出来て道も変わった。
でも、私は絶対忘れない、時代は変わっても先人へのリスペクトを忘れない。
それは、忘れてはならないと思うことであり、大切に繋げていきたいと思うのであります。
そして、ネパールに住むヒマラヤの民にも心から感謝する。
いつも現場に行けば元気になる、不思議な力をもらっている。
彼らの住む土地から、生き方から沢山のエネルギーをもらっている。
あなた達の暮らし方は、本当にカッコいいんだよ、美しいんだよって、
何度も言ってもわかってくれないけど、笑。
この本を持って伝えに行きたい。
本当にありがとうと伝えたい。
内容は、
Ⅰ アッパームスタン 〜禁断の元王国〜
Ⅱ アッパードルポ 〜世界の屋根〜
Ⅲ ロワードルポ 〜チベットの民が暮らす地へ〜
Ⅳ フムラ 〜ネパール最北西部〜
Ⅴ ドルポの冬 〜念願の越冬〜
内容を確認するに私の師匠達がいなくなって、どうしよーと思い、迷ったあげく突然連絡した。
本当に突然連絡したのにすぐさまお返事頂き、色々と教えて頂きました。
・奥山直司氏(日本の仏教学者、高野山大学教授。専攻は、インド、チベット仏教文化、密教図像学、日本近代仏教史)
・故 高山龍三氏のお弟子さんである、文化人類学者、南山大学人類学研究所非常勤研究員の森田剛光氏
本当にありがとうございました。
そして、最後に私のつたない文章の校正をして頂いた編者者の出口さんに、
お時間をかけて頂きましたこと、心から感謝いたします。
稲葉 香
2021年12月14日
2022/3/22NHKBSブレミアム
アフリカ縦断114日第3回 キリマンジャロと東アフリカ海岸」という番組を録画してあり、見ています。5895mのキリマンジャロ登山です。登山希望者5名とガイドが歩いて4日の登山行程にカメラが追ったものです。登山行程はドルポへ入る行程どころか、日本の山々へ登る行程よりもずっとずーとカメラに映る頂上近くまでの景色は木もないただただ広い平原を歩く姿です。ただ歩く姿から相当の高地だと感ずるくらいです。標高3000mころの途中の道も結構道幅は広く歩きやすい感じです。ただ、標高3000mを過ぎてからはボラボラ=ゆっくりゆっくり、歩幅を小さく歩いていました。途中、他の組のポータが倒れておりよその仲間が担いで急いで下りていきました。高山病だということで下山させることが救急になるとのことです。高山専門のポータでも倒れる。体調の問題か、早足で急ぎすぎたのか、、、、、
また、若い人でも頂上近くでは頭痛がしているといっていましたが稲葉香さんは足以外に頭痛はどうでしたでしょうか。頻繁に頭痛が起こっているという姿は思えない感じですが、、、高地なら頭痛は当たり前?????
202002写真_稲葉香さん越冬から下山の崖歩行inabatalk0215
BE_PALサイト-海外の旅
「変わってしまう前に見届けておきたかった、冬のドルポの姿」【稲葉香×山本高樹のヒマラヤ辺境対談2】2021/12/10に掲載されている写真だ。
ドルポ越冬からの下山の写真はどんな説明より衝撃的だ。
この記事を見て、著作「西ネパール・ヒマラヤ最奥地の地を歩く」p170-172に2月に下山を早めた理由、下山の様子が書かれているが、この1枚の写真を見て再度読み直した。
「変わってしまう前に見届けておきたかった、冬のドルポの姿」【稲葉香×山本高樹のヒマラヤ辺境対談2】2021/12/10
---本当は3月にドルポから出る予定だったんですが、燃料がなくなってきたので、2月に下山することにしました。それまでみんなに「どうやって帰るねん?」と心配されていて
---雪の積もった5000メートル級の峠を越えなければならなかったので、その時はもう、ふらふらでした。地元でも年配の人たちは「今の時期に越えられるわけがない」と言ってたんですが、20代の若い子たちは「いやいや越えられるよ」と、どこから越えたらいいか教えてくれて。現地で一番タフな人たちの意見を信じてしまった私(笑)。
写真
雪が積もる、きわどい崖沿いの道を抜ける。 ©Kaori Inaba
---稲葉:ここが、帰りで一番怖かったところですね。道は一応あるんですけど、そこに雪がかぶってしまっていて。ザックが岩壁に当たってバランスを崩してしまうと終わりなので、すごく緊張しましたね。
山本:こういうところは怖いですよね。足元の雪も、いつ、するっと落ちるかわかりませんし。
---稲葉:もし、また冬に行けるチャンスがあれば、全然行きたいですよ。-->怖くても怖いもの知らず。というか"ドルポ越冬"への興味にのめり込んでいる。稲葉香さんの心境とは違うと思いますが下記のことばを思い出しました。
至道無難禅師「生きながら死人となりて、なりはてて、思いのままにする技ぞよき」
至道無難禅師しどうぶなんぜんじ
江戸時代初期の臨済宗の僧侶。岐阜県関が原の宿屋、本陣の長男だった人。この人の2代あとの僧侶が白隠禅師ということです。